底地問題の歴史

第二次世界大戦後、二度と悲惨な戦争をおこすことがないように占領軍であるアメリカの
指導のもと多くの社会的な改革が実施されることになりました。
農地解放もそのひとつです。

当時は農業で働く人は全就業者の約4割を占めており、そのうちの約7割の農家は小作人
だったので、全就業者の約3割は小作人だったといわれています。
そうすると農地も宅地も借りている多くの小作人が少数の地主に小作料や地代を納めると
いうことになり、このままでは貧富の差が拡大する一方ですから、社会構造的な不満をも
つ小作人も多くなってきました。

そこで民主主義のためには、このような多くの小作人が社会主義の味方になってしまうと
困るということもあって、民主化のために農地解放が行われたのです。
農地解放とは、国が地主から農地を強制的に安値で買い上げた後、それを小作人に売り
渡すことにより小作人から自作農家へと転換を図る大改革のことです。1947年(昭
和22年)に実施されました。

これによって、ほとんどの小作人が自分の田畑を所有することができるようになりました。
現在小作人の存在をほとんど耳にしないのは、この農地解放が大きく影響しているのです。
たまに「昔はここらへん一帯はすべてうちの土地だったのに国に取り上げられた」と嘆く
地主がいるのは、こういう背景があったのです。

このように農地解放は今考えると相当強引な政策ですが、当時は終戦直後という時代背景
があったからこそできた政策であり、今ではこのような大改革はとても実現不可能でしょう。
とはいえ農地解放で小作人から地主に所有権が移転したのは農地だけであり、宅地の所有
権は原則、小作人に移転しなかったため、宅地の借地権は存続することになりました。

また戦前・戦後の空襲などで焼け野原になったため、心ある一部の地主は、住むところに
困っていた人を見るに見かねて善意で土地を貸したのがはじまりで借地権という権利がつ
いたというところもあったようです。
現在の借地問題はこのような歴史背景により成り立っているのです。